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英知を磨くは何のため

英知を磨くは何のため

2005/07/19掲載分続き

師弟の結合から宇宙大の力が
一、御書には厳然と仰せである。
「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成すべからず」(900ページ)と。
 広宣流布という大目的に向かって、師弟の呼吸を合致させていけば、必ず事は成就する。反対に、呼吸が合わなければ、何事も成し遂げることはできない。広布の戦いは勝てない。
 これが大聖人の御確信である。広布のため、友の幸福のため、御本尊に祈りに祈り、大聖人のお心に連なっていくことである。大聖人と「同じ心」で勇敢に「三類の強敵」と戦っていくことである。そうすれば、自ずと、自身の内にある仏界の宇宙台の力を引き出すことができる。それが仏法の方程式である。
 だからこそ、牧口先生も、戸田先生も、仏法の師弟に生きよ、と繰り返し、教えられた。そして、模範の師弟の姿を、わが身をもって、後世の弟子に教え残してくださったのである。仏法の師弟に勝るものはない。
 いかなる三障四魔の嵐に襲われようとも、創価の師弟は断じて負けない。必ず勝っていける。
 私は、創価の師弟の偉大さを、現実のうえで宣揚してきた。あらゆる広布の戦に勝ちに勝って、その「現証」をもって、師弟の正義を証明してきた。峻厳な師弟の絆を自覚すれば、無限の力がわくのである。
全世界の友が「信濃町」へ
一、学会創立75周年の上半期、じつに多くのわが同志が、全国・全世界の各地から、遠いところ、東京に足を運ばれ、信濃町の学会本部を訪問して下さった。
 日蓮大聖人は、山河を超え、はるばる馳せ参じた弟子に対して、その信心を讃えられ、こう仰せである。
「山河を超えるには苦労が多い。たとえ志はあっても、行動にあらわすことは難しい。そうであるのに、今、あなたが志をあらわされたのを見て、その信心が並大抵でないことが分かります。必ず法華経の十羅刹女が守られるであろうと、頼もしく思っています」(同1554ページ通解)
 広宣流布の勝利のため、いかなる労も惜しまず、勇敢に行動を貫いた、わが学会の同志の深き信心を、大聖人がこよなく讃歎されていることはまちがいない。
 仏に等しい、尊く健気な同志の皆さま方に、私は妻と友に題目を送り続けている。感謝の思いを込めて、ここ信濃町にちなんだ歴史を少々、語らせていただきたい。
一、JRの信濃町駅から学会本部を望む北側の一帯には、かつて、江戸幕府の重臣・永井信濃守(永井尚政)をはじめとする永井家の下屋敷(本邸以外に江戸近郊に設けた控えの屋敷)が広がっていた。
「信濃町」の名称は、この永井信濃守の「信濃」に由来している。
 江戸時代の古地図と照合すると、現在、学会本部、聖教新聞本社、創価世界女性会館、民音文化センターなどが建つ場所は、この永井家の屋敷と、ほぼ重なっている。これまでも折にふれ、永井信濃守については語ってきたが、この永井家の祖は、永井直勝、すなわち尚政の父である。
 直勝は、徳川家康から絶大な信頼を寄せられ、一生涯、その信頼に応えて戦った人物である。直勝は、10代の時から家康に仕え、家康の命によって、家号を「永井」と称するようになった。若き直勝の初陣は、天正12年(1584年)の「小牧・長久手の戦い」である。家康直属の若武者として、22歳の直勝は勇猛果敢に戦い、武勲を挙げた。
 その後、直勝は家康の側近として、慶長5年(1600年)、天下分け目の決戦「関ヶ原の戦い」に先立って、諸大名を味方につける重要な情報戦・外交戦においても、陰で活躍していった。
 慶長19年(1614年)の「大坂冬の陣」では、家康も目となり、耳となって、敵の状況などを詳細に偵察する「斥候」の役も果たしている。
 翌年の「大坂夏の陣」に際し、家康の軍に騒動が持ち上がったときには、直勝が奔走して、それを鎮めた。混乱を好機に転じて、かえって志気を高め、団結を強めて、戦いに臨んだといわれる。まことにあっぱれな名称として、勝利の歴史を残してきた。
 家康亡き後も、直勝は2代将軍・秀忠に仕えた。天下を取った徳川幕府の体制を盤石に固めるため、諸大名の改易など難しい案件の対処を託され、各地に派遣されている。そして、その重責を厳然と果たしていった。
後継者が活躍
一、この直勝の後を立派に受け継いだのが、嫡男の尚政(信濃守)らである。尚政は、14歳で、父・直勝ともに戦陣に参加し、16歳から2代将軍・秀忠の近習(側近)となっている。
 家康、秀忠、家光、家綱と、4代にわたる将軍に仕え、草創期の徳川幕府を支えた。なかんずく、秀忠の時代には、老中の要職を勤め上げ、徳川家の恩に報いていった。
 二男・直清(日向守)も、2代・秀忠に仕え、家光、家綱からも深く信用されている。政治的な手腕に秀で、幕府も、その手腕を頼みとした。
 寛永19年(1642年)には、兄・直政とともに、京都や大阪の貧しい人々を救済している。善政を行い、領民から非常に慕われたことでも知られている。
 永井家の領地は、関西創価中学・高校のある大坂交野市、また関西創価小学校のある枚方市にもあった。さらに、隣の寝屋川市の池田村と呼ばれた地域も、永井家の領地であったという。
 三男・直貞(豊前守)は、幼い頃から、3代・家光に仕え、本陣・江戸城の警備などに当たる小姓組のリーダーとなった。
 四男・直重(式部少輔)も、15歳の時から秀忠に仕えている。
一、思えば、イギリスの歴史家トインビー博士は、私との語らいの中で、歴史上の偉大な政治家として3人の名を挙げておられた。
 中国の漢の高祖(劉邦)と、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス、そして、戦国の乱世を勝ち抜いて、天下太平の世を開いた徳川家康であった。
 家康はその生涯の大半において、富士山が見える場所に城を構えて指揮を執った。〈江戸、駿河、御殿場など〉
 信濃町は、古来、富士を望む名所と謳われてきた。この地にゆかりの永井家は、父も、そして広宣流布も、誇り高き「信義の道」を貫き、徳川15代の繁栄の礎を築き上げていった。その歴史の劇が偲ばれてならない。
〈永井信濃守などについては、『新・信濃原の郷土史』本社刊、『永井直勝』一行院刊などを参照した〉
未来部は「宝」!
一、日蓮大聖人は、南条時光の父子を讃えられて、こう仰せである。
「亡くなられた兵衛七郎殿(南条時光の父)こそ情けに熱い男だと人は言いましたが、あなた(時光)はそのご子息であるから、父上の優れた素質を、より一層、受け継がれたのでしょう。青は(藍からとり出すが、その青さは)藍より青い。氷は(水からできるが、その冷たさは)水よりも冷たい。(と同じように、あなたが父を超えるほど立派に成長されていることは)ありがたいことです」(御書1554ページ通解)
 青は藍より出でて藍より青し・・・まさに「出藍の誉れ」である。
 何事であれ、先人の心を継ぎ、発展させゆく青年ありて、永遠の向上の道は開ける。創価学会の万代の興隆。そして、広宣流布の万年の勝利を決定づけることができるかどうかは、ひとえに後継の育成にかかっている。
 この7月23日から、いよいよ「未来部躍進月間」が始まる。青年部の21世紀使命会、壮年・婦人部の未来部育成部長、そして学生部の進学推進部長の真剣なご健闘に、あらためて感謝申し上げます。
 次の50年を見つめながら、若き友の成長をともどもに祈り、「宝の未来部」の育成に一段と力を入れてまいりたい(大拍手)。
相撲の常勝将軍
一、「強敵を伏して始めて力士をしる」
有名な「佐渡御書」の一節である(957ページ)
強敵との激戦また激戦を勝ち超えて、自らを第一級の「広宣流布の力士(力ある士)」と鍛え上げていくのが、学会青年部の伝統である。
 古来、大相撲では、「押せば押せ。引かば押せ。押して勝つのが相撲の極意」と言われる。相手がどう出てこようとも、押して押して押しまくること、攻めて攻めて攻め抜くことが、相撲の基本だと言うことである。
「昭和の名横綱」と謳われた第32代の玉錦、第35代の双葉山の二人の横綱も、「攻めの相撲」で有名である。ともに「常勝将軍」と呼ばれた。
 玉錦は、「怒濤の寄り」と言われる速攻が身上だった。双葉山は、いまだに破れぬ69連勝の大記録を打ち立てた。その連勝における決まり手(勝負が決まった時の技)が、「上手投げ」や「寄り切り」や「寄り倒し」が多かった。攻め抜いて勝ったのである。
一、ともあれ、御書には、「法華経の行者を、第六天の魔王が必ず妨げる」(981ページ通解)
「魔の習癖は、善事を妨げて悪事をさせるのを喜ぶことである」(同ページ)と仰せである。ゆえに、魔にスキを見せてはならない。
 魔を魔と見破り、打ち破っていくことだ。
 きょう7月16日は、日蓮大聖人が「立正安国論」をもって、時の最高権力者を諫暁された日である。大聖人は「凶を捨てて善に帰し、源を塞ぎ 根を截べし」(同25ページ)と仰せである。
 邪悪の根を断て!不幸の源をふさげ!
この厳命の通りに、学会は、強くまた強く、攻めて攻めて攻め抜いていくのである。
 戸田先生は、厳然と一言、「追撃の手をゆるめるな!」と遺言された。
 私は申し上げたい。
 わが青年部よ、正義の執念で勝ち進め!
 わが創価の同志よ、「立正安国」の勝利のために、痛快に真実を語りまくれ!・・・と。
 ナチスと戦ったドイツの劇作家ブレヒト。彼は戦後、ある平和会議に寄せて訴えている。
「語り足りなかったなどということがないように、いく千回となく語りつがれたことを、ぼくらはさらにくり返し語り続けよう!」
(石黒英男訳『ビレヒトの政治・社会論』河出書房新社)
切れ味鋭く反撃
一、邪悪には、断じて破折の声を上げることである。切れ味鋭く、正義を叫ぶことだ。
「一」言われたら「三」言い返す。「三」言われたら「十」言い返す・・・
この不屈の反撃精神こそ言論戦の方程式である。言うべき時には言わなければ、自分が損をする。また、悪が増長するだけである。
 語らなければ、心は伝わらない。心で思っていても、それだけでは、相手には分からない。
 真実を叫ぶのだ。そうすれば、敵をも味方に変えることができる。
 「声仏事を為す」(御書708ページ)である。わが信念を叫び抜く声の力こそ、広宣流布の原動力である。
 勝利の要諦・・・それはまず、御本尊にしっかり祈り抜きことだ。そして智慧を出し、「最高の作戦」を立て、積極果敢に打って出ることである。
 我らはどこまでも、この偉大なる「法華経の兵法」で勝ち進んでまいりたい(大拍手)。
(下に続く)


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